「お施餓鬼」(おせがき)ということばを聞いたことはありますか?
餓鬼(がき)とは、生前の行いのせいで餓鬼道に落ちてしまい、成仏できぬまま食べ物を口にすることも叶わず、いつもお腹をすかせてさまよっている霊のことです。
餓鬼にはさまざまな種類がありますが、仏教の教えによれば自分の私利私欲にばかり夢中で他人に分け与える、つまり「施し(ほどこし)」をしなかったことが原因であるとされています。
お施餓鬼は、こうした餓鬼たちに救いの手を差し伸べるとともに仏の教えや生き方を改めて考え、生きている人が徳を積むための大切な法要です。
今回は、「お施餓鬼」と呼ばれる法要について詳しく紹介します。
目次
お施餓鬼とは

最初に、お施餓鬼の由来や目的について詳しく解説していきます。
お施餓鬼は、「餓鬼に施しをする」と書かれているとおり、生きている人間が餓鬼道に落ちて餓鬼となった霊を供養するための法要です。
お施餓鬼の歴史は古く、その由来や法要の目的も時代によって変化してきました。
では、お施餓鬼とは具体的にどのようなものなのか、由来と目的を紐解いていきましょう。
由来
お施餓鬼の由来は仏教ですが、その説をたどっていくと次のような3つに分かれています。
- お経から伝えられた説
- 盂蘭盆会から伝えられた説
- 2つの説が合わさった考え方
しかし、それぞれの説にはきちんとした意味があり、知っておくとお施餓鬼に参加したときの心構えが変わります。
では、お施餓鬼の由来にはどのような説があるのか、現在多くの人に語り継がれている3つの説を紹介します。
由来①:お経から伝えられた説
1つ目の説は、「焔口餓鬼陀羅尼経(くばつえんくがきだらにきょう)」というお経から来ているというものです。
ある日、お釈迦様のお弟子の一人である阿南(アナン)尊者の前に焔口(エンク)という名前の餓鬼が現れ、阿南尊者に「お前の寿命はあと三日で尽きてしまい、死後は自分のような餓鬼になる」と告げました。
阿南尊者がこのことをお釈迦様に相談すると、「お経を唱えながら餓鬼に食べ物を施しなさい、お経を唱えることでほんの少しの食べ物が増えて多くの餓鬼が救われるので、あなたは寿命が延びて悟りを拓く(ひらく)ことができます」と教えを説きます。
阿南尊者がお釈迦様の教えに従ってお経を唱えながら食べ物を施したところ、多くの餓鬼が満たされて阿南尊者の徳が積まれ、長生きすることができました。
焔口餓鬼陀羅尼経はこの教えを伝えているもので、生者・死者を問わずに他の人に分け与える心の大切さや、苦しんでいる人を助ける気持ちの尊さを学ぶため、お施餓鬼の法要が行われるようになったという説です。
由来②:盂蘭盆会から伝えられた説
盂蘭盆会とは、いわゆるお盆の行事の元になったもので、こちらも仏様の教えが伝わっています。
お釈迦様のお弟子で遠くを見ることができる「神通力」を持つ目連(モクレン)尊者は、ある日自分の母が餓鬼道に落ちて苦しんでいる姿を見てしまいます。
なんとか助けたいと思った目連尊者は、自分の母に神通力で食べ物を届けようとしますが、すべて燃え尽きてしまって母に食べてもらうことができません。
悩んだ目連尊者がお釈迦様に相談すると、お釈迦様は次のような教えを説きました。
「お前の母が餓鬼となったのは、お前を可愛いと思うあまりお前の幸せだけを願い、他の子ども達をないがしろにしたからである。」
「母を助けたいと思うのであれば、自分勝手な母の行動を代わりに詫びるようにしなさい。」
「7月15日に修行を終える修行僧にご馳走を施してお経を唱え、すべての霊を心から供養しなさい。」
目連尊者がお釈迦様の教えに従って供養を行ったところ、苦しんでいた母を無事に餓鬼道から救い出すことができました。
盂蘭盆会というこの法要がのちにお盆となって現代に受け継がれており、「多くの人に食べ物を施す」「餓鬼を供養する」という教えからお施餓鬼の法要が行われるようになったという説です。
由来③:2つの説が合わさった考え方
お経の説もお盆の説も、「多くの霊に食べ物を施す」という点が共通しています。
そのため、これら2つの説が合わさって伝わったとされているのが3つ目の説です。
「お盆の時期」と「餓鬼に施しをする」という考えが合わさっているため、地域によってはお盆と一緒に餓鬼にも施しをして供養を行い、「先祖の霊が帰って来るのを餓鬼が邪魔しないように」と考える人もいます。
どの説にも共通しているのが、「仏様の教えに従って餓鬼を供養し、他人に分け与える大切さや命を平等に扱う尊い心を学ぶ」という点です。
お施餓鬼の法要は、衣食住に満たされている現代人にとって、忘れてはならない心や考え方を思い起こす良いきっかけとなっています。
目的
お施餓鬼の法要は、行う目的をはっきり知っておくとより一層気持ちを込めて参加することができます。
では、お施餓鬼の法要が行われる目的をお伝えしていきましょう。
目的①:餓鬼となった霊を救う
餓鬼となった霊は、目の前に食べ物が来ても燃えてしまい、飲み物が来ても蒸発して一切口にすることができません。
いつもお腹を空かせて満たされないため成仏することも叶わず、永遠とも思える長い時間を苦しむことになります。
お施餓鬼の法要を行うと、お経に乗せて届けられた食べ物や飲み物を餓鬼が口にすることができ、満たされて餓鬼道から救われるとされています。
生前の行いによって餓鬼になった霊は、お施餓鬼を行なってくれた人の優しさで大切なことを学んで成仏し、施す側も餓鬼を救うことで徳が積まれます。
目的②:先祖の霊が帰るのを手助けする
先祖の霊を迎えるお盆になると、精霊棚にたくさんの食べ物が準備され、家族揃って故人の帰りを待ちわびますよね。
しかし、成仏することもできずさまようしかない餓鬼の霊は、その様子をうらやましく思い先祖の帰りを邪魔しようとします。
こうした考えから、お盆の時期に一緒にお施餓鬼の法要を行い、先祖の霊が無事に帰って来れるようにするのです。
故人が信心深い人柄だった場合、もし故人が餓鬼をみたら苦しんでいる人を見捨てることができないだろうと、故人に変わってお施餓鬼を行う人もいます。
どちらも「助けたい」と思う優しい気持ちが詰まっており、お施餓鬼の大切さがわかりますね。
目的③:仏の教えを学ぶ
お施餓鬼の由来となっている説には、お釈迦様からの大切な教えが生きています。
- 苦しんでいる人を見返りなく助けること
- 知らない人でも惜しみなく分け与える心の大切さ
- 助けることができたことを純粋に喜ぶ尊さ
など、多くのことが学べるのがお施餓鬼です。
人とのつながりが希薄になっている現代社会では、なかなかお釈迦様の教えを知る機会がありません。
お施餓鬼を通じてお釈迦様の教えをたどり、我が身を振り返るのもお施餓鬼の法要の大切な目的となっています。
お施餓鬼を行う時期

続いては、お施餓鬼を行う時期についてお伝えしていきましょう。
先ほどお伝えしたように、お施餓鬼にはさまざまな由来や目的があります。
そのため、施餓鬼を行う時期も地域や目的によって違いがあります。
お施餓鬼の法要はどのような時期に行われるのか、具体的な例をみていきましょう。
通年行事
お施餓鬼は、仏の教えに従い餓鬼に施しをしてその魂を救うことが一番の目的なので、一年を通して全国各地で行われます。
例えば、自然災害などで行方不明となりたくさんの犠牲者が出てしまった地域では、災害があった時期に合わせてお施餓鬼が行われますし、お彼岸の時期に合わせてお施餓鬼を行うこともあります。
この他、檀家となっているお寺の行事や宗派によってもお施餓鬼が行われる時期や回数が異なります。
もしお施餓鬼に参加したいと思うようであれば、懇意にしているお寺や檀家の総代を務める人に直接尋ねてみましょう。
お盆の時期
お盆の時期に、先祖の供養と一緒にお施餓鬼の法要をお願いする地域もあります。
このとき、先祖に供物を捧げる精霊台とは別にお施餓鬼のための供物台も用意して、別の法要として僧侶に供養をお願いします。
ただし、お盆の時期は僧侶も忙しいため、早い段階から僧侶と相談しておくことが大切です。
宗派・地域により異なる
檀家となっている宗派と地域によっては、檀家の定例会として定期的にお施餓鬼が行われる地域もあります。
そもそも、お施餓鬼は餓鬼となった魂を救って徳を積み、仏の教えを改めて感じ入ることが目的です。
そのため、お寺によっては会報などでお施餓鬼の開催を連絡してきたり、檀家の総代を通じて開催日が伝わることもあります。
お施餓鬼も修行の一つだと考えると、一年を通じていつでも仏の教えを学ぶ機会があることはありがたいですよね。
お施餓鬼の法要がなかったとしても、個人的に相談すれば受け付けてくれるお寺もあります。
まずは、身近なお寺に相談してみると良いでしょう。
宗教別お施餓鬼の内容

仏教の教えであるお施餓鬼はさまざまな宗派に受け継がれており、その内容は宗派によって少しずつ異なります。
では、宗派が違うことによってどのような点が異なるのでしょうか?
それぞれの宗派のお施餓鬼を紹介しながら、その内容の違いを比較してみましょう。
- 真言宗
- 曹洞宗
- 日蓮宗
- 臨済宗
- 浄土宗
- 浄土真宗
①真言宗
真言宗によるお施餓鬼は、餓鬼への施しと同時に護摩(ごま:火を用いる儀式)を焚いて祈祷することがとても重要です。
特に、餓鬼への施しは毎日行うと良いとされているため、他の宗派よりもお施餓鬼が行われる回数が多いことが特徴です。
お施餓鬼の内容自体にはあまり大きな違いはありませんが、夕方から行われることが多いです。
②曹洞宗
曹洞宗のお施餓鬼は、呼び方が「施食(せじき)」になります。
昔は曹洞宗でも施餓鬼と呼んでいましたが、施餓鬼という表現が誤解を生むからという説や、餓鬼に施すという考え方自体が差別に繋がるという考えから呼び方が「施食」になったとされています。
曹洞宗の施食では、禅宗の流れから「生飯(さば)」という作法を行うことが特徴です。
生飯とは、食事の時に7粒のお米を取り分けるという作法です。
普段の生活そのものが修行につながっている禅宗では、毎日の食事を取り分けて餓鬼を弔うことも大切な修行の一環だったのではないかと考えられます。
曹洞宗においての施餓鬼は、呼び方だけではなくお経は「甘露門」と呼ばれ、施餓鬼に対する考え方や法要の違いが大変興味深いものとなっています。
③日蓮宗
日蓮宗の施餓鬼も盛大に行われますが、日蓮宗の施餓鬼に関連する話で有名なのが「鵜飼(鵜飼)」という謡曲です。
日蓮宗の開祖である日蓮聖人が、現在の山梨県笛吹市石和町に立ち寄ったとき、その地域の住人から「鵜飼の老人が亡霊となって出ている」という相談を受けました。
日蓮聖人は、法華経の全作品の文字を一つずつ石に書いては川へ投げ入れ、川餓鬼となってしまった鵜飼の老人を成仏させます。
この様子が謡曲となって残ったのが「鵜飼」で、能や狂言で披露され大切に受け継がれています。
日蓮聖人は、川餓鬼となった老人を成仏させた後に塚を作りました。
その塚が始まりとなっているのが笛吹市石和町にある遠妙寺です。
遠妙寺では、毎年9月の最終週に川施餓鬼会が営まれ、毎年多くの人が川施餓鬼会に足を運んでいます。
④臨済宗
臨済宗も、曹洞宗と同じく禅宗の流れをくんでいるため、施餓鬼の作法に少し違いがあります。
臨済宗の施餓鬼法要では、霊前に水向けと呼ばれるお供えをし、お焼香などの供養はしません。
施餓鬼へのお供えも洗った米と水をお供えし、飢えと渇きに苦しむ餓鬼へ施します。
また、臨済宗も禅宗の施食作法に乗っ取って食事を行います。
そのため、食事のたびに7粒の米を取り分け、常日頃から餓鬼の供養を行なっています。
⑤浄土宗
浄土宗では施餓鬼を大切な法要と位置づけており、それぞれの寺院で大々的な施餓鬼法要が行われます。
とりわけ、太陽が真東から真西に沈む年二回のお彼岸の時期が、施餓鬼法要が行われるにふさわしいとされています。
- 昼と夜の時間が等しいこと
- 太陽の動きがまっすぐ真東から真西に進むこと
が、仏教の教えである「中道(ちゅうどう)」につながると考えられるため、お釈迦様の教えにより近づけるというのがお彼岸の時期にお施餓鬼が行われる理由です。
お施餓鬼に参加した人たちは、持ち寄ったお供えやお布施で食事を用意し、参加した人全員で分け合っていただきます。
施すことと施されること、先祖への感謝や供養、お釈迦様の教えにしたがって過ごすなど、参加した人にとって得られるものが多い内容です。
⑥浄土真宗
浄土真宗は浄土宗から派生した宗派ですが、浄土宗のような大々的な施餓鬼の法要は行いません。
その理由には、浄土真宗の教えが大きく影響しています。
浄土真宗では、亡くなった人は等しく成仏するとされており、餓鬼道に行くことはありません。
餓鬼道のような苦しみはすべて現世にあるので、死後に苦しむことはないという教えなのです。
したがって、浄土真宗では餓鬼が存在しないので、施餓鬼法要も行われないということです。
お施餓鬼の方法

お施餓鬼に参加する方法は、地域によって異なるので一通りではありません。
では、具体的な方法としてはどのようなものがあるのでしょうか?
ここでは、実際に参加した人の例を元にお施餓鬼の参加方法をご紹介します。
- 寺院行事に参加する
- 自宅で行う
- お盆の供養と一緒に行う
方法①:寺院行事に参加する
一番確実で参加しやすいのは、地域にあるお寺が通年行事として行っているお施餓鬼に参加する方法です。
檀家になっているとお寺から直接お知らせが届くので、お知らせに従って申し込みをすれば参加することができます。
地域が一体となってお施餓鬼を行う場合、商工会議所の案内やホームページから日程を確認することもできます。
歴史のあるお寺だと、お施餓鬼にともないさまざまなイベントもあります。
お寺や地域のお知らせをチェックして参加方法を確認してみましょう。
方法②:自宅で行う
お寺でのお施餓鬼の法要がなくても、宗派によっては直接お願いすれば、自宅でもお施餓鬼を行うことができます。
先ほどご紹介したように、宗派によってお施餓鬼の方法は異なりますし、お施餓鬼自体がないこともあります。
自宅で行うお施餓鬼は、供物の準備や必要な作法などを事前に確認しておかなければなりません。
準備に時間を取られることもありますので、お寺に相談する際に余裕を持って日程を決めておき、必要なものや知っておくべき情報をあらかじめ集めておきましょう。
方法③:お盆の供養と一緒に行う
お盆と一緒にお施餓鬼の供養を行うと、僧侶への相談も準備もしやすくなります。
ただし、お盆の時期は僧侶も檀家まわりなどで忙しいため、必ずしも引き受けていただけるとは限りません。
また、餓鬼へのお供えであることをしっかりと分けるため、先祖への供物とは別にお施餓鬼のための供物が必要となります。
お盆の準備と並行してお施餓鬼の準備を行わなければなりませんので、僧侶とよく相談しながら無理のない日程で予定を組むようにしましょう。
お施餓鬼の服装・料金・マナー

最後に、お施餓鬼での服装やお布施、マナーについて確認していきましょう。
お施餓鬼は立派な法要なので、お寺に納めるお布施や参加する時の服装など、守るべきマナーが存在します。
せっかくお施餓鬼に参加するのであれば、失礼のないようにしたいもの。
お施餓鬼で必要なお布施や準備する物の扱い方、服装、マナーについて詳しくお伝えします。
服装
お施餓鬼は正式な法要ではありますが、葬儀のようにかっちりとした喪服を着る必要はありません。
お寺のお施餓鬼に参加する際は、普段着よりもちょっと整った外出着を基本にして、色をダークグレーや紺色、黒みがかった色にしてみましょう。
自宅でお施餓鬼を行う場合、筆頭の家主だけは外出着に近い服で黒をメインにし、その他の人はダークグレーや紺色などの派手ではない服装にします。
お盆と一緒に行う場合も同様で、家主は黒をメインにした整った服装、その他の人も地味目で派手ではない服装にします。
お施餓鬼は供養であると同時に徳を積む修行という一面がありますので、法要を行う僧侶に失礼のない服装を心がけましょう。
お布施
お施餓鬼に必要なお布施は、お寺や地域によって異なります。
あらかじめお布施の金額が決まっているようでしたら、それに合わせてお布施を納めるようにしましょう。
あくまで平均的な目安ですが、お施餓鬼に用意するお布施で一番多い金額は3,000円から1万円です。
お布施の金額がわからない場合は、お寺や他の檀家の人に事前にたずねておき、失礼のないように準備しておきましょう。
お寺での決まりがない場合には、白い封筒かのし袋の表に「お布施」と記してお金を入れます。
お寺によっては表書きを「施餓鬼料」と書くこともあるため、事前に確認しておくことをおすすめします。
卒塔婆
お施餓鬼を行なった際に、卒塔婆(そとば)をお願いすることがあります。
卒塔婆とは、供養のために用意される細長い板で、僧侶により文字がしたためられた後お墓に立てるようにします。
卒塔婆は供養に欠かせないものの一つで、卒塔婆を立てることが善業=徳を積むことにつながっており、供養の際にはよく用いられます。
卒塔婆をお願いする時には、一本の卒塔婆につき3,000円から1万円が必要です。
お墓に立てておく期間に明確な決まりはありませんが、あまりに古い卒塔婆はお焚き上げをしてもらい、最後まできちんと供養するようにしましょう。
施餓鬼旗
施餓鬼旗とは、餓鬼を供養するために用いられる旗のことです。
5色それぞれの旗が1組になっているものと、1つの旗に5色が染められているものがあります。
施餓鬼旗の五色は、それぞれ
- 妙色身如来(みょうしきしんにょらい)
- 過去宝勝如来(かこほうしょうにょらい)
- 甘露王如来(かんろおうにょらい)
- 広博身如来(こうはくしんにょらい)
- 離怖畏如来(りふいにょらい)
を表しており、餓鬼となって苦しむ霊を手助けしてくれることを意味します。
施餓鬼旗はお施餓鬼に参加した人に配られ、お墓にお供えしたりお盆の時期には精霊棚に飾ったりします。
お盆に配られた施餓鬼旗は、お盆の終わりに送り火と一緒にお焚き上げしたり、お寺に納めてお焚き上げしてもらいます。
お墓に供えた施餓鬼旗は風で飛んでしまうこともあるため、他のお墓のご迷惑にならないように設置し、ほど良いときにお寺でお焚き上げしてもらいましょう。
マナー
お施餓鬼は参加することで徳を積むことができる法要であり、お釈迦様の教えを学ぶ修行でもあります。
ですので、お施餓鬼に参加するときには服装だけではなく、アクセサリーやマニキュア、派手な髪飾りや髪型は控えるようにしましょう。
また、お施餓鬼は宗派や地域によっても決まりごとが異なります。
初めての参加のときには詳しい人に尋ねたり、お施餓鬼が行われるお寺の僧侶に尋ねるようにしましょう。
熱心なお寺の場合、檀家にお施餓鬼のお誘いが来ることがあります。
もし返信が必要な場合は、参加、不参加をはっきり伝えましょう。
お施餓鬼をお断りすることはマナー違反ではありませんが、参加の意志を伝えているのに理由もなく欠席するのはあまりよくありません。
急遽欠席するときにはきちんとお寺に連絡をして、欠席する理由を伝えるようにしましょう。
まとめ
お施餓鬼の由来や参加する際のマナーまで詳しく紹介しました。
お施餓鬼の意味を知っていくと、あらためて供養の大切さや学ぶべきことがわかります。
餓鬼となった霊を救うことは、名も知らない霊のためだけではなく、自分自身のためでもあるのです。
忙しい毎日を送っていると、なかなか自分自身を振り返る余裕がありません。
お施餓鬼に参加することは、他人への思いやりや自分自身に向けられた優しい心に気づける良いきっかけとなることでしょう。
もしお施餓鬼の機会に巡り合ったら、ご縁と考えて参加してみると良いかもしれません。